疑いなくそんな風に言い切ってよかった時代に、少し陰りが見えてきたような現象が、昨今は見られるようになりました。
有識者と呼ばれる人たちだけが口々に言う、これからの時代の理想の働き方(働かせ方)というものが、現場で働く側に形としてもたらされるかはまだわかりません。
しかし、封建時代が終焉を迎えた後の近代日本で、サロンに集うような上流階級者たちが主張する『自由』のうち、長い時を経て一般大衆にもたらされたものもありますので、現在の理想論の中にはきっと、我々が享受できる恩恵もきっとあると信じたいです。

江戸期の日本は、人々が生きて暮らしていくために必要な役割を分け合い、果たし続けることが「仕事」というよりも『生活』だったはず。
そこに過度な効率の追究や競争を求めることは、現在と比べればずっと少なかったわけですから、そういう意味では既に経験している暮らしへ戻ろうとしているのかもしれません。
暮らし方や働き方の多様性は、江戸期には当たり前にあったらしいので、現代で多様性が叫ばれるのは新しい価値観の創造に見えて、その実原点回帰であるかもしれません。
(ちなみに、↑この部分は引用ではありません。ガチで四緑文鳥が書いております)
……一体どうしたことでしょう。
データベースのトリセツ(本編)ではなく、このブログはあくまでも(番外編)
気を抜いてナンボ、ふざけてナンボの世界のはずですが、なぜこんなに真面目な書き出しになるか……?
もちろん、後でふざけるためです。
フリに決まっています。
まじめなことは(本編)のほうで展開しておりますので、まじめ記述が気に入った方はそちらへジャンプし、こっちのブログには決して戻ってこないでください。
それでは次回より、新パートを開始します(といっても、そんなに連載するつもりはありません)。